『セオラー宣言』ドラフト置き場

R大学I氏は寿司が好きだった

考える上で意識すべきたった2つのポイント その1 背理法

背理法」とは、ある議論が正しいと想定すると明らかに間違った帰結が導かれることを示すことで、その議論が誤りであるという結論を導く方法です。

たとえば、「ルールでは朧げすぎるからフィロソフィーが必要だ」という議論は、正しいと想定すれば「フィロソフィーの文言はルールの文言とは言語として本質的に異なる」または「ディベートは、ルールを朧げすぎるまま放置しても競技の淘汰で勝ち残れる」というありえない帰結に至るため、間違っているという考え方が背理法です。

背理法は、「直観的に間違っていることは確信できるんだけど、どう間違っているのか分からない議論」について「どう間違っているのか」を把握および説明するために有効です。「ルールでは朧げすぎるからフィロソフィーが必要だ」という議論に対して、「フィロソフィーもルールと同様に言語で表現されるのだからフィロソフィーが朧げさの解決策になることはあり得ない」という間違いを指摘できることは、背理法によって「フィロソフィーの文言はルールの文言とは言語として本質的に異なる」というありえない帰結に至ることと同じです。この帰結がありえないと感じられるのは、「フィロソフィーもルールと同様に言語で表現される」という当たり前の事実に反するからであり、背理法でこの帰結に至り「ありえない」という感覚を持てる段階まで行けばこの事実は意識できるはずです。

※タイトルは「たった2つ」としていますが、まあちょっと増える可能性も結構あります