『セオラー宣言』ドラフト置き場

R大学I氏は寿司が好きだった

セオラーとは

本書で言う「セオラー」というのは、「ディベート界の明らかに間違った常識を否定し、実際にその信念に基づいて行動する人」のことです。逆に、「ディベート界の明らかに間違った常識を信奉している人」と「ディベート界の明らかに間違った常識を否定しているが、実際にはその常識を尊重して行動する人」を、「ネッター」としましょう(ちょうど上巻における「ディベーター」に当たります)。

なぜ「セオリスト」ではないのか?それは当然の疑問です。「セオリスト」ではなく「セオラー」なのは、単に昔(私が現役だった頃ぐらい)はみんな、「セオリーばっかやる人」を指して「セオラー」という言葉を使っていたからです。「セオリスト」なんて、ほとんど聞きませんでした。当時、「セオラー」が支配的だったのは、『日本ディベート界の省察』の上巻(以下「上巻」。中巻と下巻も同様)にも登場したR大学のI氏が「セオラー」と言い始めたからだと思います[1]。I氏はそれに対応して、「セオラーではない人」を「ネッター」と呼び始め、それも「セオラー」とセットで定着していました。

もちろん、「セオリスト」ではなく「セオラー」になったのは、語源を辿ればI氏の天然ボケが炸裂しただけで単に間違っただけです。しかし、私は本書で言うセオリーに通じるディベーターを指すには、そんな朧げな「セオラー」を使うのがぴったりだと思っています。なぜなら、セオリーはいつの日か消えて無くなるべき存在であり、本書で言うセオラーが最終的に実現しようとしているのはセオリーを暗黒空間に葬り去ることだからです。セオラーは言ってみれば、医者のように存在意義がなくなることこそが理想です。そして、その理想は、医者の場合は実現するとしても恒久平和の実現よりもっと後かもしれませんが、セオラーの場合は近い将来とは言わないまでも遠い将来には実現可能なものです。

セオリーの側に立つディベーターは、いつかは消えるべきであり、自身を自ら滅す存在です。そんなどこか儚く朧げな存在には、朧げな「セオラー」こそがお似合いでしょう。

 

[1] I氏はよく謎の横文字を開発していました。今でも鮮明に覚えているのは「アッペスト」という言葉です。当時は3回生以上もでれる大会を「アッパー大会」と言うことがあったので、その「アッパー」の最上級(?)というイメージで作ったのではないか、という説が有力です。意味としては「ものすごい」みたいな感じで、程度の高さを表す言葉として使われていました。