『セオラー宣言』ドラフト置き場

R大学I氏は寿司が好きだった

プランフォーカス的解釈の呪い

ネッターは、レゾリューションの解釈においてディベートの技術を学ぶ前であれば絶対に犯さなかったであろう誤りを犯しています。それは、レゾリューションをセンテンスとして解釈しないという誤りです。

具体的には、レゾリューションを主語、動詞などの要素にばらし、その要素それぞれに対し対応するプランの要素が合致しているかをチェックするという誤ったケースとレゾリューションの合致の判断が行われています。たとえば、「消費税を増税するべきである」というレゾであれば[1]、「増税する」という動詞に対してプランの動作も「増税する」という語が指すものになっているかどうか、「消費税」という目的語に対してプランの対象も「消費税」という語が指すものになっているかどうかをチェックします。

このように要素ごとにチェックする方法を単に説明の方法の一種として利用するのであれば問題はないのですが、ネッターはこれを純粋にケースとレゾリューションが合致しているかどうかの基準としてしまっているのです。そのため、「消費税を増税するべきである」というレゾで「消費税を現行の1万倍に上げる」のようなプランを認めてしまうのです。

おそらく、ほとんどの人はこれの何が問題なのか分からないでしょう。しかし、これはあまりに単純な誤りであり、以下の説明を聞けば間違いなくハッとするはずです。

分かりやすい別の例を上げましょう。たとえば、「マグマに浸かるべきである」というセンテンスに対して、浸かることが望ましいマグマが存在すること(姫路城の地下にはあるマグマだけは温泉的に利用でき、絶対に浸かってみるべきである、など)を示しても肯定的評価を与えることはできませんよね。肯定的評価を下すには、マグマは「おおむね」浸かることが望ましいものでることを示す必要があります。つまり、例外的なマグマについてではなく、マグマ一般について論じる必要があるわけです。

ところが、ネッターの誤った解釈の下では、プランの対象が「マグマ」に合致するかどうかだけを基準にしますから、姫路城の地下にあるマグマだけを取り上げたケースも認められてしまうわけです。もちろん、そのようなケースはノントピカルです。つまり、ネッターの解釈は、本来レゾリューションが求める一般性を無視して、過剰な具体化を認めてしまっているのです。

先ほど挙げた増税の例も、ちょっと分かりにくいですが「増税の程度」について同様に一般性の問題が発生しているのです。「消費税を増税するべきである」というセンテンスに肯定的評価が与えるには、望ましい税率が現行税率よりも高い水準に存在することを示すのではなく、現行税率より高い税率の方が「おおむね」望ましい(現行税率以下の税率の方が「おおむね」望ましくない)ことを示す必要があります。

これでもまだ分かりにくいでしょうか。分かりにくいのはおそらく、通常、何かを増やす程度とその影響はおおむね比例するため、ある例外的な程度においてのみその増加が望ましい状況があまりないためでしょう。また、別の例を挙げてみましょう。

世界チャンピオンになることを目指しているミニマム級(一番軽い階級)のボクサーを主語とした「階級を上げるべきである」というセンテンスについて考えてみましょう。このセンテンスを肯定できる理由として、「ミニマム級では減量がきつすぎて本領を発揮できていない」といった理由が考えられます。しかし、「今ヘビー級は層が薄いから世界チャンピオンになりやすい」という理由では肯定的評価は下せませんよね。その手の理由であれば、「ミニマム級より上はおおむね層が薄い」、「階級が上がるにつれて層が薄くなる」など、上の階級一般の話になっていないとおかしいはずです(もちろん、上の階級でも例外的にある階級だけは層が厚いといったことは認められます)。

このボクサーの例は、上記の消費税の例と構造的にはまったく同じです。このように、より身近で明らかに肯定的評価(または否定的評価)を下せる状況を想定しやすい例で考えることは本質を掴む上で非常に有効なので、ぜひ他の分野でも活用してください。

ここでは、レゾリューションのセンテンスとしての意味を無視して、意味不明な方法で解釈したことの害として一般性の問題を取り上げましたが、他にも重大な問題は発生しうるでしょう。それらの問題を網羅的に予測して虱潰しすることは不可能ですが、これは非常に単純に問題であり[2]、普通にレゾリューションの意味を考えていれば間違うことはありませんし、逆にネッターの間違いを指摘することは容易でしょう。

ただ、実はその「普通に考えること」が難しかったりします。なぜなら、この解釈の誤りは非常に基本的な技術論におけるモデルの濫用に根を持っているからです。おそらく、ほとんどのディベーターが初学者のときにエジュケやセミナーなどで、黒板やホワイトボードに円を描いてその円を「レゾリューション」とし、その内側にある点を「プラン」とする図解で教わった経験があると思います。実は、あの図解が誤りなのです。そして、この解釈の誤りの元凶はあの図解です。

あの図解は端的に言えばプランフォーカス的な誤りを犯しているのです。通常、あの図解で説明されることは「AFFは、レゾリューションに合致するプランの一例を取り出してそれを肯定するんだよ」ということです。そして、図解上では円の中にある1つの点が肯定の対象となるような印象を受けてしまいます。

これは、「レゾリューションはプランの選択肢を限定するもの」(ガイドライン)または「レゾリューションはプランとカウンタープランの領域を分けるもの」(バウンダリー)というプランフォーカスの考えをベースにしています。このレゾリューションの説明から、あたかもレゾリューションを満たすプランは複数存在しているかのような勘違いをしまったのです。そして、図解では、その複数のプランを内に含む円としてレゾリューションが描かれ、その円の中に複数存在しうる点としてプランが描かれてしまいます。

だから、レゾリューションが「マグマに浸かるべきである」であればマグマの数分、「消費税を増税するべきである」であれば増税の程度の数分、「階級を上げるべきである」であれば階級の数分は、最低でもプランが存在するという風に、センテンスとしての意味を考えれば具体化してはいけない領域まで具体化することによって複数のプランを捏造してしまうようになったのです。

これが、トピカリティの判定としては、AFFが取り上げたプランの対象は複数ある「マグマ」の例の内の1つであるかどうか、動作の程度は複数ある「増税の程度」の例の内の1つであるかどうかといったセンテンスの評価ではなく要素ごとの対応を基準としてしまう誤りになっていくわけです。

しかし、こういった意味でのプランは複数存在しません。プランは、「マグマに浸かるべきである」であれば「マグマに浸かる」、「消費税を増税するべきである」であれば「消費税を増税する」、「階級を上げるべきである」であれば「階級を上げる」のただ1つです。「どのマグマか」、「どの程度の増税か」という点は具体化すれば、ノントピカルになるわけですから、その具体化の仕方それぞれに対応するトピカルなプランなど存在しないのです。ただ、その唯一のプランが具体的なやり方の違いによって政策パッケージとしては複数存在するだけなのです[3]

だから、あの図解は正しくは、レゾリューションを円で描いたなら、その円をもう一度なぞったものをプランとしなければなりません。

 

[1] この誤りによって主語の解釈に問題が出ることはまずないため、例として挙げるレゾでも主語は省きます。

[2] レゾリューションはどう見てもセンテンスなわけですから、これは単純にルール違反です。shouldとピリオドに違反していると表現しても良いでしょう。

[3] レゾリューションの意味的に一般性が求められない領域については具体化してもノントピカルにはなりません。たとえば、「Aさんは階級を上げるべきである」というセンテンスは、Aさんが階級を上げることが望ましいと言える増量方法がどれだけ例外的でたった一例しかなかったとしても肯定的に評価されます。そのためこのような領域については、どの具体的なやり方を選択したところで、プランの政策パッケージが変化するだけで、それによってトピカルになったりノントピカルになったりすることはないので、あの図解とは関係ありません。