I氏の言葉
ディベートは、アナーキズム実現の試金石となる。そう涙ながらに語った昨日の友は今日の敵である。
私はNAFA教育リーグを終え、新潟への夜行列車に乗り込んだ。労働者階級が集う喫煙自由席で、老人の吸うタバコの煙にいぶされながら私は通り過ぎる見知らぬ集落を見つめていた。田園のなかの汚い小屋にあかりがついている。丑三つ時をすぎようというのに人影が見える。その人影も私ほどのやりきれなさを味わったのだろうか。
自由に踊らされていたのは自分ひとりだけであった。とりのこされ、道化になった私を指摘するものは誰もいなかった。もはや、ネッター対セオラーという単純な図式の時代を終えていた。指摘されなかったからよいというものでもない。それにいち早く気がついた旧友たちは足早に私のもとを去り、新たな目標に向かって進んでいったのだ。
一ノ宮氏やT中氏の指導の下に確実に実力をつけていった関大、龍谷、同志社・・・。プライズこそ逃したが、彼らのディベートは確実にアッパーへ向けて成長していた。かたや私のアナーキズムの実験台にされたO西H斗(○○宗)。無邪気に「あのー、PMAってPlan Spikeですよね。」と語る彼をみて強い喪失感をおぼえた。今まで彼に注ぎ込んだ時間は帰ってこない。
私は夜行列車の消えない明かりの中で中原中也の詩集を読んだ。なぜか気になった詩を抜粋しておく。
港市の秋
石崖に、朝陽が射して
秋空は美しいかぎり。
むかふに見える港は、
蝸牛《かたつむり》の角でもあるのか
町では人々煙管《きせる》の掃除。
甍《いらか》は伸びをし
空は割れる。
役人の休み日――どてら姿だ。
『今度生れたら……』
海員が唄ふ。
『ぎーこたん、ばつたりしよ……』
狸婆々《たぬきばば》がうたふ。
港《みなと》の市《まち》の秋の日は、
大人しい発狂。
私はその日人生に、
椅子を失くした。